団塊の世代から学んだこと
今週のお題「おとうさん」
私の父は、団塊の世代
団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す[1]。
焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。
wikiより
父の幼少時代は、町内に子どもがいっぱいあふれかえっていたそうです。学校では教室が足りなくて、すし詰め状態で、1クラスに50人くらいいたそうです。
当時は兄弟が5〜6人の家庭が一般的です。学校でも早いもの勝ちは、当たり前だったそうです。父は一人っ子で育っているので、学校は大変やったと言ってました。
豊かさを喜べること
父が子どもの頃は、世の中全体が貧しく、子どもの数が多く、足りない状態が当たり前でした。
家にテレビがやってきた日は、町内の人がいっぱい見に来て盛り上がった
この話は、父のお気に入りです。何度も何度もしてくれました。
他にも、いっぱいこの手の喜びを味わってきたと思います。私たちの世代とは比べられないくらいでしょう。
私達の世代(昭和56年生まれ)が、みんなと同じ年頃の時、ポケベルが流行り、その後、ピッチ、携帯、スマホが、次々と発売されて本当に便利になったって話を、私が上の世代から高度経済成長のときの話をされたように生徒にします。ポケベルの使い方を詳しく説明すると「それネタやろ」って言われます。
— いずみ@いのちだいじにすと (@inochidaiji) 2018年6月11日
足りない状態を知っていること
豊かさを喜べるのは、足りない状態を知っているからだと思います。
私にとっては、生まれた時から、家にお風呂があったりテレビがありました。それ当たり前なことで、いちいち喜びは感じません。
上の世代の話を聞いて、その喜びを想像することはできます。
当たり前になっているから、家電が故障したら、マイナスに感じます。
健康でいられること
これも一緒の考え方じゃないかなぁって思います。
本当は、当たり前でいられることが、一番豊かで幸せなんでしょうね
以上、父の日は何もしていない胃がん克服ママいずみでした。本日もお読みくださりありがとうございました。
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