死ぬためのエネルギーは残しておきたい
ろうそくが燃え尽きるとき、一瞬ぼあっとなるように、生命が終わる時もエネルギーがいるのではないでしょうか。
お経の中にも次のような言葉があります。
灯滅せんとして光を増す
《「法滅尽経」から》ともしびが消えようとするとき、一瞬その光を増す。物事が滅びる直前に、一時勢いを盛り返すたとえ。(goo辞典より)
生まれ、死にゆく場所
出産のとき、母親はものすごいエネルギーを使います。おそらく赤ちゃんの方も、必死でこの世に出ようともがきまくっています。
私は死ぬ時も同じようにエネルギーがいるように思えてならないのです。
もしかしたら死んだら終わりかもしれません。
自分が生まれる前にいた場所に戻れたらいいなぁと漠然とですが願っています。
これといった信仰は持ち合わせておりません。宗教や哲学の勉強は好きなんですが。
天国や極楽浄土など、死後の世界があることも、存在しないことも、科学的には証明できていないので、実際はどうなんでしょうね、でも、ただただ思いたいです。
「そんな世界があったらいいなぁ」
原始人だろうが現代人だろうが
死んだらどうなるんやろ?
って不安の答えを探しています。
人類が共通して持ち合わせているこの感覚
死んだ後にも続きがあって欲しいと物語っているのではないでしょうか。
死ぬためのエネルギーは残しておきたい
自分の命が尽きるとき、
ほなお先に~
行ってきます~
こんなことを言える余裕があればいい、そのためには、私は絶対に延命治療は受けたくないです。
意識のあるうちに燃え尽きたいです。
昨夜睡魔と戦いながら考えた内容がグチャグチャだったので、大幅に直しました。
極限のときの言葉はストレートすぎて、それはそれで面白いのかもしれませんが、自主規制というブレーキをかけました。
本日もお読みくださり、ありがとうございます。