お墓はいる?いらない?
私は以前、お墓はいらないとブログで発言しました。
私の遺影にむかって、毎日ニコっと微笑んでもらえたら、それで十分です。
吉水 岳彦氏(ひとさじの会)の講義
本日、臨床仏教の講義を受けて、お墓を求める人がいる現実を学びました。
おにぎりの話を聴いたら、食べたくなっちゃうんだろうなー。#臨床仏教 pic.twitter.com/abSpdpi9Ai
— 胃がん克服ママいずみ (@inochidaiji) 2017年12月26日
(ちなみに、おにぎりの話は、あんまり出てこなかったので食べたくはなりませんでした)
名前のない死に方とは
何らかの事情で、みずからつながりを断ち切って天涯孤独の身で、最期を迎えると
何月何日、どこどこで発見された男性(ないし女性)として、扱われます。
どう思いますか?
私は、自分や家族など関わりがある人が、名前のない死に方になるのは、たえられないし、想像するだけでも辛いです。
しかし、このような最期を迎えなければならない人が、この現実に存在しています。
戦争や災害などでやむおえない場合もありますし、運が悪かったり、だまされたり、みずからが招いた結果だったり、様々な事情で、身寄りがない生き方をされている方がいらっしゃいます。
たとえ、自己責任だったとしても、誰もが尊厳のある死に方を願う権利はあるはずです。
死んだ後、自分の名前を加えてもらえる場所があれば、安心して旅立てます。
むしろ、人生が孤独だからこそ、死後に誰かとつながれる場所として、お墓を望まれるのかもしれません。
死んだらどうなるかは、実際のところ誰もわかりません。
ですが、死んだらどうなりたいかは、なんぼでも考えたり、願ったりできます。
私の理想は、自分が愛した人の心の中で、思い出しもらうことです。
だから、生きている間に、これでもかって、つながりを深めていきます。
そして、お墓が必要な人には、ご縁が結ばれることを勝手ながら願います。
参考サイト
おむすびがつなぐご縁から学びをいただく 吉水岳彦さん(ひとさじの会代表) | 生き方つながるコミュニティ|こころーたす cocolotus.com
以上、胃がん克服ママいずみでした。本日もお読みくださりありがとうございます。