命はめぐる
ディズニー映画の『ライオンキング』の見せ場は、悪者をやっつけるところではなく、
主人公が水に映る自分の姿をみて、自分の身体や心の中に死んだ父親の存在を確信するところです。
すべての生命は遺伝子を運ぶ器です。
親と子、子から孫へといった つながり の中で、私たちは生きています。
親がいない人は存在しない
子どもがいない人はいますが、親がいない人はおりません。
毒親という言葉があるように、ほんまにほんまにどうしようもない親はおります。今も昔も世界中どこにでも。これを読まれている方の中にも、あんなん親やと認められないわって人もいらっしゃるでしょう。
ただ本日は、それは一旦置いといてもらって、この世に自分を誕生させるきっかけを作ってくれたことに、感謝の気持ちを感じてはどうでしょうか。
親の役割を果たしてくれたことを受け入れることは、この世に生まれてきた自分を受け入れることになるでしょう。
私たちは他の生命と同じように遺伝子を運ぶ器ではありますが、様々な物事について深く考え、芸術にふれれば感動するし、見返りがなくても愛することができます。
しかし、いいことばかりではありません。
思考停止して体制に流されたり、無感動な日々を消化するだけだったり、嫉妬したり、憎むこともありますね。
そんな時こそ、器に撤すれば楽になれます。
親を愛せなくても
この世にひっぱってくれた
その事実だけを受け取ればいい
つながりの中で生きていることを実感できれば、ここにいていいんだと安心が得られます。自分が死んだあとも、誰かの心の中に私の情報が残り続けることをおもうと、死に対しての見方がかわってくるのではないでしょうか。
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